雨をつれて歩くよじゃ

遅筆な文筆家という体の日々

11月29日

「日記を書く」

と宣言してから早くも2ヶ月以上が経ってしまった。

9月からの休職生活をすっかり満喫している。しすぎている。

それというのも、心穏やかにのほほんと毎日を過ごしているので、日記を書く必要がない。日記を書く行為とはわたしにとって頭のなかでもやもやしているものを文字として外に出してすっきりさせる、いわばデトックスのようなものだからだ。

 

緊急事態宣言の解除とともにわたしのなかでぴんと張っていた糸がぷっつり切れた。

TOKYO2020で『フィールドキャスト』としてボランティア活動を行なったことが大きいか。

 

あなたのために教えてあげる。

職場で指導される日々、1年半。仕事ぶりだけでなく「わたし」であることに対してもダメ出しされる。

仕事もできないし、家事もできない。こんなわたしでムスメたちに申し訳ない。

すっかり自己肯定感を失った。文字通り、毎日が闇でしかなかった。

家と職場の往復が憂鬱すぎて、推しの曲を聴くことができなくなった。ただ、イヤホンがないと落ち着かないので、なにも流さずに単なる耳あてと化した。

 

そこにオリンピックがきた。ボランティアとして参加することをずっと迷っていたが、開催を心待ちにしている気持ちに正直でいよう、と職場には言わずに夏休みを充てて参加した。

 

 

わたしという人間を必要としてくれる人がいる。

わたしを認めてくれる。

いいのだ、「わたし」のままで。

生きている、「わたし」のままで。

生きていい、「わたし」のままで。

生きたい、「わたし」のままで。

 

 

毎年夏はふらふらになって倒れてしまいそうになるのだが、この7日間だけは太陽にも負けないくらいに生命力に満ちていた。

TOKYO2020の開催によってわたしは光を見つけた。光になった。

 

それからというもの、毎日がふわっふわしていた。

心、ここにあらず。地に足がつかない。

 

ここは「わたし」の居場所だ、と覚悟を決めていた場所はそうではなかった。

「わたし」でいられる場所はほかにもある。

出て行きたい。

ほかで生きたい。

 

そう思いながら職場へ向かうようになった。相変わらずイヤホンは単なる耳あてでしかない。

 

そのうち、乗り継ぎ駅ではまったく違う路線に乗ってどこかへ行ってしまいたい衝動との闘いになった。それに打ち勝って職場の最寄り駅に着いたところで、腹痛や吐き気といった不調が出てくる。

これはもう、やばいってことか。

心身ともにボロ雑巾となって帰る電車のなかでは『メンタル』『クリニック』などと検索しては閉じる、その繰り返し。

 

ある朝、起きると吐き気と腹痛、頭痛がひどかった。

オットとムスメたちは夏休みなので一日家にいる。なぜだかわからないが、不調だと正直に伝えることができなかった。だから、職場へ行く顔で玄関を出た。診療科目は迷った末、消化器内科へ行った。問診の結果、

「精神的なものかなあ?心当たり、あります?」

と言われて泣きそうになった。とりあえず出しときますね、と整腸剤をお守り代わりに処方していただく。

帰りに大型書店があったので、ぐるっと巡って1冊買った。
わたしにとって本は安定剤だ。おかげで、だいぶきもちが落ち着いたので家に帰ることにした。

本当は定時まで時間を潰して完全偽装しようと思っていたが、この状況下で免疫力低下した体でうろうろする勇気もなく。それに腸が弱っているからか、横になりたかった。

 


「ただいま。少し早いけど。お腹痛くて早退してきた」

言い訳がましいなと思いつつ、ムスメたちへ説明したが反応うっす。ま、そんなもんだわな。

 


ストレスのせいで腹痛おこすので整腸剤飲んでる人、として翌日からまた職場へ行く日々。

腹痛はだいぶラクになった。吐き気はどうしようもない。昼食がまともに食べられなくなった。

 


そして緊急事態宣言が解除されることになり、糸が切れた。
今しかない、と。

 


わたしががんばらなくては。わたしがいなくては。

ほかに居場所がない、これが天職と信じる者の使命感に縛られていたが、そんなことはなかった。

わたしの代わりになる駒はたくさんあるのだ。

 


ムスメたちの「母」の代わりは「わたし」しかいないのだ。

 

 

 

2年前の今日、職員として初めての出勤日。

職場への道がそれまでとはまるで違って、きらっきらで眩しくてしかたなかった「わたし」へ送る。